in detail 「詳しく」注意深く徹底して調べたり、話し合ったりする場合に用いられます。Nobody took the trouble to go into the question in any detail. (誰もその問題をわざわざ詳しく調べようとはしなかった)(慶応)この文のようにdetailは in detailという成句の場合は 副詞句としてしか使われないのでdetailと単数になります。しかし、詳細な記述といった具体的なことを言う場合は名詞となり複数形になります。Please let me know all the details. (すべての詳細を教えてください) ところで、inは in favorなどのように名詞の意味を強めている感じがしますから、ここでもdetailを強めていると捉えればいいのではないかと思うのですが……。ともあれ、in detailはある部分をはっきりさせることを言うので単数形になるとも考えられます。She described their appearances in detail. (彼女は彼らの外見について詳しくのべた)

at play 「遊んで」 atはさまざまな意味を持ちますが、〈活動など〉に取り組んでいる場合にも使われます。「遊び中」であればat play、仕事中ならat workですし、学校で勉強(?)しているならat school, 食事をしているならat table、ピアノを弾いているのであればat the piano といった具合です。時や場所の一点を表すatが活動や行動も表すことがあるのは、 遊びにしても仕事にしても、そのことに、つまりその一点に向ってなにかやっているといったニュアンスがあるからでしょう。たぶん。Actively playing or involved in other leisure activities.(活動的に遊ぶ、あるいは他の仕事以外の活動にかかわる)と英英にはありましたから、be at play= be playing, be at work= be working,ect.と考えてもいいのじゃないでしょうか。 The kids love the game you bought them—they've been at play for hours now.(子供たちは君が買ってきたゲームが気に入っている。今じゃ何時間もそれで遊んでいるよ) Instead of spending weekends at play, children are expected to spend most of their time studying for their exams. (週末を遊んですごす代わりに、子どもたちは自分たちの時間のほとんどを試験勉強に費やすように期待されている)

by and large「一般的に」「全体的に」on the wholeとか generally (speaking)のほうが普通だと思います。語源を調べてみると、もともと海事用語でbyが向かい風を受けて、largeが追い風を受けてという意味だったそうです。風向が定まらないときでも、かなりの速度で船が進むように操縦することを意味した、と「研究社イディオム英和辞典」にはありました。ともあれまずます順調に進んでいる、ということから「全体的に」といった意味合いが出てきたのでしょう。byはby the windでよさそうですが、さてlargeは? 追い風と言われてもピンときません。おそらく帆がいっぱいに大きく膨らむ感じーーa large sailからlargeといったのではないでしょうか。 We have been fine, by and large. (全体的にうまくやっています) By and large, the situation has improved. (全般的に、状況は改善している) 由来からも判るように、今ではほとんど使われない古い表現とのことでした。わたくし自身も語句を問う入試問題なんか以外では見かけたことはありません。このような語句を高校生に教える必要があるのでしょうかね。generallyで十分だと思いますが……。There are a few small things that I don't like about my job, but by and large it's very enjoyable.(自分の仕事については二つや三つ気に入らないことがあるけれど、まあ全体的にはとても楽しいよ)(Cambridge) このように総合的に考えると、おおざっぱに全体的に見ると、といったニュアンスが強いようです。

人に何かを手渡しするときHere you are[go].といったりThere you are[go]と言ったりしますが、どうもそのニュアンスの違いがわからなくてALTに訊ねてみました。彼によると ”There you are”の方が厚意を持っていない、丁寧ではない、ぶっきらぼうな感じがするとのこと。おそらく、thereという語の影響が少なからずあるのでしょう。本来hereもthereも距離を表しますから、距離の近い「ここ」here よりも遠い「そこ」there の方が心の距離が遠くなるのでしょう。距離が気持ちのありようにも影響しているのでしょう。なんとなく、「ほいっ」という感じがthereで、「はいどうぞ」がhereの感じでしょうか。これはあくまでもイギリス人のALTの感想ですから、一つの参考にしてください。なお、Here you are.とHere you go!について面白い解説を見つけました。

Both of them basically have the same meaning that you have given something to someone.The difference is intent. “Here you are" is merely a statement that "here is something you wanted ”“Here you go" expresses more enthusiasm and excitement.

P1: I'm really thirsty, could I have a glass of water!"

A1: Here you are, your glass of water.

A2: Here you go! Now drink that down!

Of course these subtleties can change depending on intonation by the speaker. 

head off  自動詞のhead offはtoを伴って「~へ出かける」の意味になります。They headed off to the beach.というと「彼らは浜辺に向かって行った」(レクシス)といった意味。他動詞になると「阻止する」「回避する」という意味になります。The police headed off the procession. (警察は行進の行く手をさえぎった)この文の場合、デモ隊なんかを想像するといいかもしれません。デモ行進の方向に向かう、出発する、つまり頭を向ける(head off)わけで、警官たちと行進する行列が向かい合う、敵対する形になります。そこから「阻止する」といった意味になったのではないかと推測するのですが、根拠はなにもありません。ところで、ミャンマーでのデモ隊と治安部隊との衝突の映像をテレビで観ていると、わたくしが学生だった頃をふと思い出して、なんとも言えない虚しさを覚えます。暴動という名目で何人もの命が消されていくという現実はいつまで続くのでしょうか。かつての学生運動が市民から支持されなかったのは、総括とか内ゲバと称した暴力の正当化に学生たちが疑問をもたなかったからだとわたしは思っています。ヘンリー・デイヴィッド・ソローが、そして彼の弟子ともいえるガンジーキング牧師が不服従の運動を徹底し続けたのは、暴力を正当化することは間違っていると確信したからでしょう。ミャンマーがこれからどのような状況に陥っていくのかわかりませんが、戦後の食糧難の時代にアジア諸国のなかで日本に食糧支援をしてくれたのがビルマ、つまりミャンマーだったことを日本は忘れてはいけないと思います。もし日本が恩を仇で返すようなことをすれば、国際社会から信頼されるtrustworthyな国とみなされることはないでしょう。

brotherには「兄弟」という意味の他に「仲間」といった意味があります。History and Etymologyをみてみると、Latin frater, Greek phratēr member of the same clanとありましたから、「仲間」とか「一族」といった意味がもともとの意味だったことがわかります。おそらくfraterのf音がb音に次第に変わっていったのでしょう。

ところで、ずいぶん昔に聖フランチェスコの半生を描いたBrother Sun Sister Moon という映画がありましたが、フランチェスコは太陽に向ってbrotherと呼びかけることで一神教キリスト教の枠を越えようとしたのではないか、などと思ったことがありました。ALTにこの語について話したところ、Sharing similarityと捉えればいいでしょうということでした。同じであることを共有するという意識がどうもbrotherの根っこにはありそうです。同じ親の血を共有しているのが「兄弟」であり、血が繋がっていてもいなくても、たとえばフランチェスコ修道会のように同じ考え、同じ信念、同じ思想などを共有しているのが「仲間」という風に捉えればいいのではないでしょうか。My sister supported her brothers as a piano teacher.(姉はピアノの先生をしてぼくたち兄弟を支えてくれた)

underdog 「(ゲーム・試合などで)勝ち目のうすい人」Cambridgeにはa person or group of people with less power, money, etc. than the rest of societyとあります。他の人やグループよりも力がない、権力がない、能力や才能などがいまいち、そしてお金がない。そんなニュアンスで捉えればよさそうです。その他に、in a competition, the person or team considered to be the weakest and the least likely to winという説明も載っています。いちばん弱くて勝てそうにないやつとか、弱そうなチームなどをイメージすればいいでしょう。日本語には判官贔屓という感情を表す熟語がありますが、それに近い気もします。わたしたちはときに負けっぱなしの力士とか一勝もしていない競走馬を応援したりします。日本人の意識の底には判官贔屓が根強いのかもしれません。かつてワールドカップになかなか出れないころの日本のサッカーチームはunderdogだったといっていいでしょう。Japan used to be the underdog of the World Cup. However, they have participated in it six times in a row since 1998. (日本はかつてワールドカップになかなか出場できなかった。しかし1998年以来連続して6大会出場するまでになっている)ーー思い違いがあるかもしれませんが、たぶんそうだったと思います。なぜこの語にunderを使うのかイギリス人のALTに訊ねてみました。彼の解釈では、他の人あるいはグループよりも下だからunderということでしょう、と応えたあとで、これから上がっていけるという可能性も示唆している語だと、補足していました。単なる判官贔屓とはその点で少しニュアンスがことなる気がします。義経チンギス・ハーンになったなんて幻想を抱くのではなく、まさしくかつての日本のサッカーやラグビーチームのように力をつけて上へのし上がっていける存在がunderdogということのようです。