divine という言葉はetymology dictionaryによると14世紀ごろから使われるようになったとあります。神を表すdeus(デウス)と関係があることはいうまでもないことですが、14世紀頃から使われるようになったというのは驚きでした。あまりに遅すぎやしないかと思って。ともあれ、デウスから「神の」という意味になったわけでしょう。To error is human, to forgive is divine. (過ちは人の常、許すは神のみ) アレクサンダー・ポープの有名な詩句ですが、このdivineに抽象名詞形語尾のityがついて出来たのがdivinity(神性)です。乱暴かもしれませんが、-ityquality()と考えればいいのかなと思います。Shinto is the national religion of Japan that used to stresses divinity of the Japanese emperor. (神道は日本の国家宗教であり、かつて天皇の神性を強調していた) 作曲家信時潔は「海行かば」を作曲したことを生涯恥じたそうです。あの名曲の悲劇はqualityを無視されて戦争に利用されたことです。大伴家持が「海ゆかば……」をうたったのは、藤原氏におされぎみになっていく大友氏一族をなんとか鼓舞しようとしたかったからで、あの歌はけっしてレクエイムではなかったのに、軍部によってqualityが捻じ曲げられて軍歌にされてしまった。「あらゆる涙が渇いていく」とうたった詩人がいましたが、多くの涙が流された戦場にビルが建ち、マンションが建ち、高速道路が走り、娯楽施設が建つ。被爆地に公営の野球場がなぜ必要だったのだろう。平和公園の目と鼻の先に長崎県営野球場が立てられたのは戦後まもなくの1951年のこと。いまなお犠牲者の涙は乾いても渇いてもいないでしょうに。たとえどんなに死や悲劇を忘れさせよう、あるいは隠蔽しようとしても、to forgive is divine. 敬虔なキリスト者であった信時潔が流したであろう涙を再び捻じ曲げてはならないでしょう。