今でもコロナで亡くなった方たちは、あの納体袋あるいは遺体収納袋 (a body bagですかね、英語だと) という大き目の生ゴミ用の袋みたいなものに入れられて火葬されているのでしょうか。人間の遺体をゴミ袋に入れて焼くというのは、あまりに酷い(mercilessよりrevoltingでしょう)という気がするのですが……。遺体を火葬して(cremate)、骨を墓に納める(place his / her ashes in a tomb)というのは日本だけの風習(traditionですかね、それともcustomですかね) だそうです。ヨーロッパやアメリカのキリスト教国では火葬ということはまずありえません。というのも、イエスの復活はキリスト教信仰の柱だからです。肉体を焼いて灰にしたら復活できないでしょう。特に、北米ではほとんどの人が土葬されるそうです。(In North America most people are buried.) 土葬にせよ、火葬にせよ、問題は遺体の扱い方だと思うのです。コロナで亡くなった人々をあたかも危険物(hazardous material)か産業廃棄物(industrial waste)のように扱っている気がするのですが……。チェコミランクンデラの小説に『存在の耐えられない軽さ』というのがありますが、英語訳のタイトルはThe Unbearable Lightness of Beingです。存在をexistenceではなくbeingとしてあるところにクンデラあるいは訳者の思いが込められている気がします。Websterには、beingthe quality or state of having existenceと説明されています。つまり存在の質ということ。単なる存在ではなく存在することの本質、つまり生きるとは何か、存在するとは何か、といった問いを感じさせる語です。そのbeing body bagに詰め込んで、遺族とも顔をあわせず火にくべる。こんなことをするのは、どうせ行政側の指示なんだろう思い込んで、調べてみると遺族の立ち合いを認めている斎場もごく少数ですがありました。つまり遺族に最後の別れをさせるかどうかは斎場側が決めたことだったようです。(もし行政の指示だったとしたらさらにrevoltingですが)人間の尊厳 (dignity of human beings) を顧みないという、いわば日本人の負の遺産は戦後75年、76年経っても綿々と受け継がれている気がしてならないのですが……。