パラリンピック24日からはじまりますが、パラリンピックという呼び名が使われるようになったのは、つい最近(?)で、1988年のソウル大会からです。それまではOlympiad for the Physically Disabledとか、Olympics for the Disabledなどさまざまな呼ばれ方をしており、正式名はなかったわけです。最初はParaplegic Olympicという言い方をしていたようです。paraplegicとは「下半身が不自由なひと」といった意味ですから、身体障害者による競技会だったことがわかります。paraparalysis (麻痺) paraです。ところがそのparaparallel (平行) の意味に変化して、というかこじつけて、Parallel Olympics つまりオリンピックと平行した→類似した→同様のもう一つのオリンピックという意味をparaに持たせることにしたわけです。ことばとは神秘的なものですが、使い方によっては魔物にもなります。敗戦をいまだに終戦と呼ぶように……。ともあれ、このパラリンピックの発症の地がイギリスだったことは幸いでした。もし障害をshameと捉えるような国が発祥地だったら、ひとびとにpridedignityの重さを思い起こさせる大会にはならなかったことでしょうから。shameを「恥」と訳すのは誤訳だと個人的には思っています。というもの彼らの文化は「罪」の文化であり、けっして「恥」の文化ではないと思っているからです。「生きて虜囚の辱を受けず」という昭和陸軍の戦陣訓に代表される「恥」の文化は彼らにはないと思うのですが、どうですか。Cambridgeにはshameについてan uncomfortable feeling of guilt or of being ashamed because of your own or someone else's bad behaviourとあります。自分自身のあるいは他の誰かのよろしくない振舞いによって引き起こされる罪意識といったものがshameとあります。事故、災害、病気、等々による障害。それらは自分が犯したことではありません。shameではありません。ところで「盲人だけが太陽を真っすぐに見ることができる」という名言を吐いた哲学者がいましたが、誰だったか思い出せなでいます。